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ワールドワイド酒クズの海外酒場放浪記

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フィリピン「ハッピーランド」ー地図から消えた街の住民が住む東洋最貧のスラム街

フィリピン スラム街 マニラ

軽い気持ちで訪れてしまった、東洋最悪のスラム街。フィリピン、マニラ首都圏のトンド地区は、大規模で危険なスラム街だ。かつてここにはスモーキー・マウンテンという世界的に有名なスラムがあった。そして今なお、人々はゴミの中で生活している。

そこは悲壮感に満ちた絶望の場所ーーーでは、なかった。

 

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photo:manila happyland slum children | Girl vs Globe

 

東洋最貧のスラム街、トンド地区

フィリピンの首都、メトロ・マニラ。

東京23区とほぼ同じ面積の中に約1,186万人の人口を抱えるこの大都市は、その7割がスラム街である。

マニラの中でも最悪と言われるスラム地域、トンド地区。フィリピン人も近付かず、警察でさえ一人では行きたくないという、世界有数の治安の悪いスラムエリアである。強盗、殺人はもはや日常茶飯事で、ニュースにすらならないと聞いた。

 

 

トンド地区が危険な理由。それは貧困だ。

 

マニラ市内の多くのスラムがトンド地区に集中している。世界的に有名なスラム「スモーキー・マウンテン」も、かつてはトンドにあった。

 

そう、それは過去。

スモーキー・マウンテンは1995年になくなった。

 

貧困が解決したということではない。

 

ただ単純に地図から消されたのである。

 

消された街、スモーキー・マウンテン

かつて漁村だったこのエリアは、1954年にゴミの投棄場所となった。それ以来、ゴミから廃品を集め、売ることによって生計を立てている「スカベンジャー」と呼ばれる貧民たちがそこに住み着き、生活するようになったことによりスラム化した。

 

スモーキー・マウンテンという名は、ゴミの山から自然発火した煙が常に立ち込めている様子から名付けられている。ゴミの山の中で、ゴミを拾い、ゴミを売って、またゴミの家に帰ってくるスラム街の住民。スモーキー・マウンテンは「貧困の象徴」として世界的に注目を集めることになった。

 

この状況を重く見たフィリピン政府は、国のイメージを著しく損ねるとし、ゴミ処理場としての機能を停止。1995年にスモーキー・マウンテンを閉鎖した。住民たちを強制的に立ち退かせたうえ、フィリピン国内の地図から存在を消したのである。

 

住民には仮設住宅を提供するなどしたが、住む場所があっても稼ぐ手段がなければ人は生きていくことができない。仮設住宅も家賃が発生するため、結果的にアパートの形をとったスラムが大量に出来ることとなった。

それだけではない。ほとんどの住民が、別のゴミ処理場の近くに住み、以前と変わらぬ生活を送っているのだ。

そのうちの一つが、「ハッピーランド」。スモーキー・マウンテンから程なく近い場所だ。

 

新たなスラム街、ハッピー・ランド

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photo:google map

 

スモーキー・マウンテンから程なく近い場所に「ハッピーランド」はある。HappyLandと呼ばれるこのスラムエリアでは、スモーキーマウンテンの住民が以前と同じようにゴミから廃品を集めて生活している。

ハッピーランドの由来は、住民みんなが幸せだからーではない。フィリピンの言語(ビサヤ語)の「Hapilan」と語感が似ているという理由でつけられた名前だ。

「ハピラン」とは、「smelly garbage」つまり「悪臭のするゴミ」という意味である。

そう、これは皮肉でしかない。新たなゴミの街の名前だ。

 

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photo:google map

 

街の入り口には大量のゴミが運ばれ、降ろされ、そして人々が廃品を探していた。

 

今回私はフィリピン現地のスラム街ツアーを行っているNGOにガイドをお願いし、このエリアに入った。私が払った参加費は950ペソ(約2300円)。このお金はハッピーランドの寄付に充てられるとのこと。このツアーは写真を撮ることを禁止している。それはスラムに住む人たちのプライバシーを守るため、そしてもう一つの理由はフィリピン政府が禁じているため、とのことだった。

そのため今回のブログでは、写真は海外のサイトから紹介している。

 

さて。

あなたは、ゴミの山の中を歩いたことがあるだろうか。

 

ゴミの種類は幅広い。ペットボトルは安く、ビンは少し高く売れる。一番高く売れるのはコイルだが、あまりゴミとして出てこない。彼らの収入は1日100ペソ(約250円)だ。

あらゆる種類のゴミは、あらゆる悪臭を放っている。生ゴミの臭いもあるが、それぞれのゴミがそれぞれの悪臭を持ち、それらが混じり合って空気を作っている。呼吸ができないほどの悪臭というわけではなく、空気の中に自然にゴミの臭いが存在しているという表現が近いかもしれない。数時間の滞在だが、髪の毛から服に至るまで、ゴミの臭いは私の体にしっかりと染み付いた。

 

ゴミは山となって別に置かれているわけではない。

ゴミの上を歩き、ゴミの上に家が建っているのだ。

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photo:MY SARISARI STORE

 

瓦礫の山である。もちろんガラスや、尖ったプラスチックもたくさん落ちている。謎の液体も垂れ流されている地面は、衛生面としても決して良いとは言えないことは容易に想像がつく。

しかしその中を、住民たちは薄いビーチサンダルや、裸足で歩く。

 

住民の主食であるリサイクルフード「パグパグ」の衝撃

街の中を案内してもらっていると、ガイドさんが「パグパグって知ってる?」と聞いてきた。

「パグパグ」とはタガログ語で「shake off」、振り落とすという意味の単語。

何を振り落とすかというと、汚れである。

 

つまりパグパグとは、ゴミとして捨てられたファーストフードなどの残飯から、汚れを払って、再度調理し直して食べる食事のこと。

このスラム街では一般的な食べ物だ。

 

スラム街を歩いていると、ゴミの中からバケツにチキンをより分けている人たちを見かける。この暑いマニラで、ゴミ箱の中に一晩以上入って、他のゴミとともに運ばれてきた残飯たち。衛生的に安全であるわけがない。

バケツ1杯のチキンは、20ペソ(約50円)で売れる。

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photo:MY SARISARI STORE

 

チキンは汚れを払い、水で軽く洗ったあとに再調理される。調味料をほんのすこし加えて、煮たり、炒めたりする。軽く火を通すだけのイメージだ。全く新しい素晴らしい料理に生まれ変わっているわけではない。

 

ハッピーランドにはパグパグの有名な屋台がある。気のいいおじさんがパグパグを作ってくれる人気のお店だ。1皿は10ペソ(約25円)。連日スラムの人たちで大盛況のようだった。

 

なぜパグパグを食べるの?美味しそうには見えないけれど。

 

返ってきた答えは、

「お金があれば普通のものを食べたい。」

だった。

 

パグパグによる食中毒で、住民が亡くなることもよくあるそうだ。

 

食べる勇気は私にはなかった。

 

スラム街は絶望の底にあるこの世の地獄、ではない。

 

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photo:MY SARISARI STORE

 

私が東南アジア最悪と言われるこのスラム街を訪れたのは、ただの思いつきだった。

もともとフィリピンに数ヶ月住んでいたこともあり、フィリピンの事はある程度知っていたし、そして大好きだった。

マニラは行ったことがなかった。マニラの観光スポットを調べていたところ、たまたまスラム街のツアーを見つけたのである。

マニラが危険だということは、フィリピン人から再三言われていたので知っていた。スラムがたくさんあるということも。路上で物売りをしているストリートチルドレンも、お金をくれと寄ってくる老人たちも、スラムから来ていることも知っていた。せっかくマニラに行くなら、一番悪いところを見てみよう。本当に軽い気持ちだった。

 

私は知らなかった。

 

この2016年に、iPhoneで写真を撮りながら地図を見て友達にメッセージを送れるこの時代に、断捨離が国民的ブームになるような国があるこの時代に、残飯を再調理して食べ、ペットボトルを集めて売り数百円を稼ぎ、不衛生な家で殺人やレイプ、強盗に怯えながら暮らしている地域があるということを。

死と生が日常の中で隣り合わせになっている場所があるということを。

 

 

そして、

その場所に住む人たちが、本当に力強く生きていることを。

 

 

知識として知っていたスラム街、街で見かける貧困者から連想するスラム街は、悲壮感と絶望に満ちた、暗く危険な場所だった。

でも実際は全く違う。

人々はスラム街で、明るく、強く、生きていたのである。

 

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photo:MY SARISARI STORE

 

歩いていると、大人から子供までたくさんの人とすれ違う。スラムには本当にたくさんの人が住んでいるのだ。

そして皆、満面の笑みで声をかけてくれる。挨拶だけの人もいれば、会話をしてくる人もいる。

子供たちはとても人懐っこく、ハグしてくるだけではなく、飛びついてくる子、抱っこをせがんでくる子、アクセサリーを不思議そうにいじる子(決して盗もうとしているわけではなく)、手をつないで歩きたがる子。

 

スラム街で一番よく見たもの、それは「笑顔」。

 

スラム街にもネットカフェがある。5分で1ペソ(約2円)。子供たちはワイワイ歓声をあげながらネットゲームに明け暮れていた。

フィリピンで最もポピュラーなスポーツ、それはバスケットボール。例に漏れずスラム街にもバスケットゴールがあり、大賑わいだった。一緒にやろうと誘われるくらいに。

大声で歌う子供たち、おしゃべりに興じるお母さんたち。

スラム街でわたしは「生」の強いパワーに圧倒された。

彼らは彼らなりに、生きることに一生懸命だった。そして、そんな彼らが持つオーラはとてもポジティブで、楽しそうに見えた。

そう、彼らがとても幸せそうに見えたのだった。

 

スラム街の子供たちの希望。

それは、いつか必ずここを出るという夢。

そして教師、エンジニア、看護婦になりたい、と語った。

 

 

複雑な思いを抱え、ハッピーランドからトライシクル(フィリピンの原付タクシー。安い)に乗ったところ、なんとドライバーのおじさんが今日が誕生日だと言うではないか。ガイドさんと一緒にお祝いし、ひとしきり盛り上がった。おじさんはとても嬉しそうだった。今日は誕生日だから休む予定だったけど、特別に街まで送ってあげると言われ、ハッピーランドを後にした。

 

いつでもどこでも誰にでも平等に、誕生日は本当に素晴らしい日だ。

生まれることも素晴らしいことで、生きていくことはもっと素晴らしいことなのだ。

 

 

トンド地区のスラム街では、約3万人が生活していると言われている。

日本で毎年3万人が自殺する一方で、強く生きる3万人がフィリピンにはいた。

 

彼らと私たちの違い、それは生まれた場所にしか他ならない。生まれた状況を受け入れ、その中で全力で生きていくことを、人は「生きる」と呼ぶのかもしれない。

 

とにかく私にとって、筆舌に尽くしがたい衝撃だった。ポジティブな感情とネガティブな感情が渦巻いて、思わず立ち尽くしてしまうほどに。

生まれた場所という違いだけで、人はこんなにも違う人生を歩まねばならないのか?

幸せとは、一体何なのか?

 

もし太宰治がここに来ていたら、人間失格ぅ〜とか言って自分に酔いながら自殺なんてしないだろうなと思う。でも村上春樹は帰ったその日にコールガールのつるりとした体を抱いて、朝方やれやれと言いながら彼女に電話をするだろう。

 

人は旅くらいで変わるものではないというのが私の持論だ。

 

でも変わるものもあるのかもしれないなと、初めて感じているのだった。


それくらいの衝撃。